ハラキリ。(子宮筋腫撤去工事の話)
※とっても長いです。そして、男性はあんまり読んで気持ち良い話じゃないかもしれません。4年前に子宮筋腫を手術で取った時の顛末です。はてなブログを始めたのも、この入院生活がきっかけだったのですが、放置していた書きかけの記事です。が、思うところあって公開することにしました。※
去る2016年2月23日に子宮筋腫を手術で取りました。
しばらく前から筋腫が育ちだして、いよいよ手術で取ろうかどうしようか?という段階に至り、やったことはやっぱり、
でした。
昨今、インターネットで調べ物をしようにも欲しい情報にたどり着くのも大変な、「ネットは広大だわ(by素子)」感がある。
やっと見つけたと思っても、『そんな個人的な感想はどーでもいいよー、もっと具体的などーのこーのが知りたい!』という内容であることもしばしばだけれど。
こと、この(筋腫)テーマに関してはどんな個人的な単なる感想でも、とても参考になった。“個人の感想”とか“体験談”が、意外に役に立つジャンルなんだなあ。
なんというか、励みにもなるし。
てことで、どなたかのお役に立つかもしれないし、わたしはわたしでどんな具合に入院から退院までいなしてきたか、書いておこうと思う。
ググってここに辿り着いた、筋腫を抱えて不安なあなたのお役に立てば幸い。
◯2年半前(2013年)
近くの老舗の婦人科病院で、誕生日検診というものをやっていると知ってそれを受けに行ったのが最初。
その後見つかった子宮筋腫を、半年に一度経過観察していたのが、ちょっとずつ育っているね、となった。
この時、メインの2つの腫瘍が、直径4〜6センチ程度。
子宮筋腫はほとんどの場合が良性で、そんなに心配なことはないのだけれど、生理がある間は栄養が供給されるので成長する。
今後の成長のスピード予想などを考慮し、手術して取ってもいいかもしれないね、と担当医と相談。
総合病院へ紹介していただく。
この時点で、私としては
・腫瘍のみ取る
・腹腔鏡で施術
というつもりでいた。
さて行ってみると、折り合いがつかず企画倒れとなる。
理由は、
・貧血その他の症状がひどくない
・出産の予定がない
・それなのに、わざわざお腹の中をいじるリスクを犯したくない
このように言われ、地元の先生のとこへ出戻り、じゃあ様子をみましょう、となる。
◯5ヶ月前(2015年)
半年に一度の経過観察を続けていたが、この半年で筋腫が急成長。
じわじわと育っていると、本人もあまり異変を感じないものだそうだけど、私の場合、半年間の成長が急に速くなって、
頻尿・ひどい便秘・ひどい腰痛
これが顕著に。
もともと血が濃い(?)ので貧血はなかったけど、普通の人ならここらで貧血も出たかもしれない。(この状態でも貧血はないんだよねー、ふーん。って、先生に感心された)
MRIも撮り直し、大きな二つがそれぞれ6〜8センチくらいありそうだということで、再び総合病院に見参。
このときの腹積り。
・開腹手術は致し方なし
・ただし、腫瘍のみ摘出し、子宮は残す
・手術決定から3ヶ月後くらいのスケジュールが一般的と聞いたので、2月中に手術希望
はてさて、またもやこの病院とは折り合いがつかない。気が合わんなあ。
曰く
・この条件(年齢、出産に関すること、閉経までの予想年数、筋腫のサイズなど)では、自分たちとしては子宮全摘しかやらない
とのこと。
(ちなみに、卵巣と卵管は残すので女性ホルモンは出るし、いきなりおっさんになるわけではない、とは言われた)
はあ、そういうもんですかい、と思って、2月末(3ヶ月後)に一応手術の予約もして帰る。(何しろ混んでる病院なんで、心を確定してから手術予約!なんて悠長なことやってたら、ライフプランに影響が出る)
だいたい、ここの病院は予約一つなかなか取れず、地元の先生とここと、報告やら確認のために行ったり来たりするだけで下手すると1ヶ月を要してしまう。
それだけならまだしも、前回と同じ話をまたするためだけに予約取ろうとして「初診扱いです」とか言いやがったときには、 ア ホ か ! と思った。
しかもそれが二週間も先の真昼間。
ま、これは愚痴ですがね。
そんな調子なので、果たしてホントにここで手術するのか?な気分になりつつ、でも、とにかくもう筋腫は取ってしまいたかったし取ると決意もしていたので、コトを進めようと。
地元の病院に帰り、上記経緯報告致しましたところ。
「ずいぶん大胆な宣言されちゃったねえ」
と地元先生。
子宮全摘のことらしい。
いやあ、わからないのでそういうものなのかと思って‥
と言うと、
「医者の言うなりになる必要はない。子宮をたとえもう使わないだろうからって、痛んでもいないのに取るなんて、自分が楽な方法を取ろうしているだけだ。ホントに抵抗ない?」
というようなことを仰った。
確かに、ネットで色々な方のブログなんかを読み漁った中に、「手術前は子宮に何の思い入れもなかったけど、終わった後に突然喪失感が襲ってきた」という方がいらした。
地元先生のこの言葉で、それがすごく引っかかっていた自分に気づいて、ちょっと動揺して泣きそうになる。
そして地元先生が
「私がやろうか」
と言ってくださった。
!!
紹介されてどこかへ行くってことは、地元ではやってもらえないからなのかと思っていたから、二つ返事でお願いしますと答えた。
なあんだ、先生やってくださるんなら最初っからそれが良かった、と言ったら、「大きい病院の方がいいかと思って」と。
なるほどそういう患者さんもいるんだろうな。
これから手術を考えてる方に1つアドバイスしたいのは、大きい病院だから安心て事は全くない、ということ。
技術や機材的には安心でも、心は安らかとは限らないと思う。
入院生活を思い返しても、細かな精神面の支えは、大病院なら絶対にないものだったという気がする。
そして、先生や病院との相性というのはかなりの部分を占める。
だから、私みたいに妥協したり我慢して受け入れたりしなくていいと思う。
論理的に見ても、二つの病院だけでもこれだけ方針に違いがあるのだし。
ドクターショッピングは如何なものかと思うけど、セカンドオピニオンくらいは取っていいと痛感した。
さてそんなわけで、大病院様をキャンセルして清々し、改めて地元先生のもとで入院・手術の予約と相成った。
取りましょう、という二度目の判断から、実に2ヶ月近くかかってしまった。
◯3ヶ月前
術前に3回、ホルモン注射を打って筋腫を少しでも小さくしよう作戦(これは筋腫摘出する方のほとんどがやるみたい)開始。
最初の一回はなかなかタイミングが難しい。生理が来てから5日以内に注射しなくてはいけないのだけど、
来た→どうしても行けない日→どうしても行けない日→日曜日
なんて具合になると、5日ギリギリだったりするからだ。
この1回目さえうまくキャッチできれば、あとはもう三週間に一回、定期的に注射打ちに行くだけなので予約もできるし楽勝。
このホルモン注射で、更年期のような副作用が出るというのは、よく聞く。
ところが私の場合は、なーんにもなくって、むしろ、生理も来ないし筋腫も縮んだようで頻尿便秘も軽くなり、大変快適であった。
その様子を見た先生、
「更年期も軽いかもねー」
と太鼓判!
基礎体力がモノを言うというとこもあるそうなので、皆さんには体力をつけておくことをオススメしたい。
◯1週間前
家族も呼ばれて、手術の説明。全身麻酔のため、家族の立会いが必要だそう。
麻酔科の先生に、硬膜外麻酔とはなんぞやの説明を受ける。
あとはとにかく、風邪を引かないように気をつけること。
◯入院日
大量のおもちゃをカバンに詰めて入院。
産婦人科ってもしかしてそういうものなのだろうか、ここは入院費に色々なものが含まれていた。
・パジャマ(毎日替えを貸してくれる)
・スリッパ
・ガウン
・タオル(毎日新しいバスタオルとフェイスタオルに替えてくれる)
・コップ
・下着その他のランドリーサービス(朝預けて夕方には届けてくれる)
など。おかげで、着替えをほとんど持っていく必要がなかったので、荷物は洗面道具と遊び道具がメインだったのだ。(しかもテレビも冷蔵庫も無料だった)
そして、ご飯が美味しかった。
食器も陶器のもので、ボリュームもたっぷり。
初日は、そんなことにいちいち驚いているうちに終了。
ただし、翌日は早速手術を控えているため、21時以降は食べもの禁止。
豪華夕食とはいえ18時には食べ終わるくらい早々と持ってきてくれたので、外来のフロアの自販で思わずパンを買ってみたりしたが、結局満腹だったので食べず。
飲み物にポタポタたらして飲むタイプの下剤を服用。
◯手術当日
手術予定は、早くても15時。もしくはそれ以降。
朝10時を過ぎたら、お水も控えるように言われる。
朝一番で、昨夜の下剤は効いたか確認され、まだだと言ったら、超強烈なプロ仕様(?)のお浣腸を持って来られる。あっという間にお腹の激痛に見舞われる。今回の手術にまつわる一連の中でもトップクラスに辛かったのは、この浣腸だった。
そして、(人生初の)点滴開始。水分。
途中でちらっと顔を見にきてくれた先生が、「お腹空いたよねー、でも水入れてるから干からびないよ(笑)」。
確かに干からびることなく、15時半ごろ前触れなく看護師さんがやってきて「さあ行きましょう」と唐突に言う。
急き立てられるようにベッドを後にして急ぎ足で手術室へ。覚悟を決める間もない。
小さな病院なので、5メートルも歩いてエレベーターに乗って一つ下の階へ降りたら、もう手術室の前だった。
手術室だー!!!(緊)
でも、思ったより滅菌感がなく(大丈夫か?笑)気楽な感じ。
執刀医も麻酔医も看護師もほとんど女性で、なんだかきゃっきゃした雰囲気に、少し和む。
はいはい速く速くってな感じで手術台の上に乗っかり、バスタオル一枚の姿になる。
もしかしたら、こういうとき他所の病院だったら何も気遣いなく裸になるんだろうか。
ここんちは、こちらが “そんなお気遣いなく〜”と言いたくなるくらい、そこら辺の気遣いがすごい。診察のときなんかもそうなんだけど、絶対にあられもない感じにならないように、常にバスタオルが用意されてる。
そして、まずは硬膜外麻酔の準備。
これが技あり感満載で2、30分はかかったんじゃないかという繊細かつ大胆な作業(っぽい)だった。
この麻酔のためのカテーテルを挿入するのに、膝を抱いた横向きの姿勢をとらなくてはいけないのだけど、看護師さんが一生懸命私を抱えてくれて、合間には握った手をさすって励ましてくれる。
背骨にグイグイくる挿入感。痛くはないけど、なんか、すごいことが起きてるな!という漠然とした緊張。
これが完了すると、いよいよ手術になるのだが、こっちはこの後仰向けになったらすぐ全身麻酔のマスクをあてがわれて、「おしっこの管入れるからねー」と言われて、あとはもう記憶は2秒しかない。
あ、男性の先生も二人いるのねーんんんんん‥
と思ったら、次の瞬間にはリカバリー室(ナースセンター横の病室)にいて
「終わりましたよー」
と起こされてた。
‥んふぁい。
としか返事できず。
家族が来たっぽい感じがあり、それから先生がやって来て、大きな丸いタッパー状のものにたぷたぷに液体が入った中に、真っ白くてまんまるいぶよぶよした物体が浮かんでるものを見せる。
撤去した筋腫大小取り混ぜて4コ。
眠かったけど、先生の「どーだ!」感をビシバシ感じた(笑)
あいあろおざいあふ(ありがとうございます)とだけ、なんとか伝える。
寝落ち前に看護師さんに聞いたら、19:40とのことだった。
◯2日目
数時間おきに目が覚める。
痛みで覚めるというわけではないけど、目覚めたついでに寝返り打ちたくても、それが痛い。動くと痛いのではなく、動こうと思うだけで痛い。鈍痛。
それでも、点滴と硬膜外麻酔のチューブから、痛み止めが入っているのでその程度。
看護師さんが検温に来るたび、寝返り打ってみてねって言われるけど、大仕事だ。
しかし、じーっとしていると癒着を起こしやすいので動いて欲しいらしい。
ベッドの手すりやら壁やらを駆使してなんとか横向きになるが、内臓が動いてまた痛い。
時間は定かでないが、日中、病室へ戻る。
さすがに移動は車椅子。とは言え、ベッドと車椅子の移乗は基本、自力。
座った姿勢になった途端、気持ち悪くなる。
わたしは、体に関してはかなりダメでも口では「だいじょぶ‥」って言う方なんだけど、さすがに「キモチワルイデス‥」と呟く。そのくらい。
腸が活動を始めてオナラが出たら、流動食からごはんスタート!なのだが、なかなか出ない。
看護師さんも先生たちも、二言目には「オナラでた?」
出ないって。
尿の管も外してもらい、とにかく痛いのだけど、トイレは点滴押していく。
這ってでも行く、って感じだ。
起き上がり、点滴のコンセントを外してピーピー鳴らないようにボタンを押し、立ち上がり、よれよれしながらベッドを離れて病室の向かいのトイレまでたどり着くのに、「トイレ行こう」と思い立ってから5分くらいかかる。
入り口のわずかな段差を車輪が超えられないので、点滴を持ち上げねばならず、トイレも狭いので身の振り方にコツが要り、また部屋に戻ってベッドに収まるまで、なかなかの仕事。
◯3日目
まだ熱高め。38度台。体内が必死で調整を行っておる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
…と、ここまで書いたまま保存して放置してあったのですが。
親友が筋腫取ろうか悩み中みたいな話になったので、これを書いていたことを思い出しまして。
もうこの続きの顛末は記憶の彼方なのだけど、読み返してみれば参考になることもあるかもなと思い、このエクスキューズを書き足して公開したいと思います。
結局入院生活は10日。
熱が出てたことなんか全然覚えてないのですが、それよりも、とにかくお腹の中で癒着が起きないように動け!ということで、点滴押して狭い院内をウロウロしてました。
が、お腹を切ってまたくっつけたので、そっち(お腹側)の皮が短くなったような感じがあって、直立の体勢が取れない。無理矢理ぐぐぐぐっと体を立てようとするあまり、背中の筋肉痛が激しく、毎晩看護士さん呼んで6枚くらい背中に湿布貼ってもらってました。
一番きつかったことはこれだって記憶してましたが、それじゃなくて、どうやら浣腸だったようですねw
で、術後の診察の時に先生から記念写真もらいました。
筋腫の。
筋腫の?!
そう。筋腫の。
「背の順に並べてみた(笑)」だって。
4個、7センチを筆頭に並べてある写真でした。。。