かつしかFM IgaraShinoKin
はっきり言う場面がなかったし、みーんな理解してくださっていたと思うし、番組の中で言うのは無粋なので言わなかったが
私は1ミリたりとも
この番組を
辞めたくなんかなかったよ!
17年通いお世話になったかつしかFMと、お別れをしてきた。
イガラシノキンは、誰にも媚びることなく、ただひたすら私と五十嵐くんの、茶飲み話居酒屋トーク時間潰しニッチなネタ炸裂という番組。
にもかかわらず、12年も続けてやらせてもらいました。
リスナーさんも、たぶんお好みでない方もいらしたことでしょうが、実はイガラシノキンをきっかけにかつしかFM聴くようになった、とか、ラジオに初めてメールしてみた、とか、そういう方々も少なからずいてくださったみたい。
・・・・・・・・・・
ラジオのことを書く。
ラジオは、テレビと違って、聴取率の数字はものすごく小さい。
インターFMにいた時も、それなりに人気番組だったし、その数字で局からお褒めいただいたこともあったけど、それでもすごく高い時で1%台。
ましてや、マスの小さいコミュニティFMで聴取率だとか、何か反応をもらう数字的なものなんか気にしても詮無い。
逆に、小さなぶん、リスナーの声はほんとのほんとにダイレクトに届くわけで、その肌感覚を得ることは県域より容易。
でも、数字データに目がくらみ、耳が閉じてしまえば声は聴こえない。
しかも手元にデータが示されているから、聞いているつもりになる。
それでも数字やグラフの載った書類の方が、やっぱり世間様には通りがいい。
だから、売ろうとする人間は当然そのように体裁を整えたいと考える。
そして、コンテンツを作る人間は、「思い」とか「感情」とか、数字にならないものをどんどん込める。でも、どんな商品もそれだけじゃあなかなか売れない。
昔から(たぶん今も)ラジオの中では、売る人間と作る人間のせめぎ合いと協力とが日に繰り広げられてる。
それがどっちかにだけ傾いたら、全体が傾くのは時間の問題。
今は、好きな番組を聞き続けるのも大変だ。
すっかり誰もがSNS慣れしていて、職人的技術がなくとも誰もが何でも発信できる時代。
そして、管理画面を開けば、何人の人が見ているだとか、何人の人が「いいね」みたいなボタンをクリックしただとか、そういうことがすぐわかる。
つまり、この全人類意見発信時代に、いいと思うものをただ静かに見守っていても、それは支持していないと見なされる恐ろしい時代。いいと思ったら(あるいは大して思っていなくても)「いいね」ボタンをとにかく押すというアクションを見せねばならないのだ。
昭和が去り、平成の次が今や発表されようとしているこのタイミング、時代のスタンダードは、質や想いが判断基準ではなくなり、愛もデジタルに計量され、0と1とで判定が降りる。
好きな番組は0判定を喰らう。
それから、もひとつとっても思うのは、言葉と音だけが武器のメディアにおいて、日本語がなおざりなままでいるのは不味いと思う。
おざなりではない。
なおざりだ。
例えば「万感の想い」という言葉を一瞬脳内で変換できないような人間が、そしてそれを不味いとも思わないような人間が、言葉を武器にして戦う。
無理だ。
ラジオについて話してください、と言われたら、このようなことを言う。
わたし的一般論だ。
・・・・・・・・・・
さて、かつしかFMさんも晴れやかに新年度を迎えたことと思う。
彼らは新しい局面を引き寄せようとしている。
時代に合わせて少しずつシフトして行きたい方向があるのだそうだ。
そこには個人的には賛同する部分も大きい。
もっと地元の局としてのカラーを
もっと防災に目を向けた局として
派手に一見して変わったな!とわかる編成部分もあるので、新年度からのリスナーさんにはお楽しみでもあるだろう。
しかし一方、イガラシノキン部分だけをザクッと切り取った感を持つ向きもあろうと思う。
でもね、
それでいいんです。
なぜって、わかりやすい。やりたいことや気合は伝わるだろう。
私に何かを言う必要も権利も、もちろん全くどこにもありえない。
問題は今ではない。
1年後。
そのときに番組表を見て、まだこのままだったら、
私は怒るよ。
勝手にこの末席で腹をたてるくらいの権利はある。
そして今は、
全人類意見発信時代だ。
***お知らせ*****************
※ラジオ※
かつしかFM
「IgaraShinoKin」
12年間ご愛聴ありがとうございました。
全国49局のコミュニティFMにてオンエア
「弁護士・奥山倫行のロック裁判所」
※ホームページこちら※
https://cnokichi.jimdo.com/?logout=1
********************